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広島地方裁判所 昭和42年(わ)674号 判決 1973年1月20日

主文

被告人両名を各罰金一万五、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納しないときは、金一、五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、証人竹村富弥、湯川準一、藤原薫、福永玲子、西村斌、林淳、秋田憲吾、岡田清、大林昇司および隅井孝雄に支給した分は被告人両名の連帯負担とする。

理由

(本件犯行に至る経緯)

第一、本件争議の経過

一、株式会社中国放送(昭和四二年四月一日以前は、ラジオ中国と称した。以下単に会社という。)は、ラジオおよびテレビの放送事業等を営業目的として、昭和二七年五月一五日に設立された会社で、広島市基町二一番三号に本社を、東京、大阪および福山市にそれぞれ支社を置いている。中国放送労働組合(本件争議当時は、ラジオ中国労働組合と称した。以下単に組合という。)は、昭和二八年六月に右会社従業員をもつて結成されたもので、民間放送の労働組合で組織する日本民間放送労働組合連合会の傘下にあつた。

二、組合は、昭和四二年五月二四日の組合大会において、組合員平均二二万七、〇〇〇円余の支給、査定(一時金につき勤務成績を査定して差をつける制度)の廃止、住宅手当の新設および不当処分の撤回等を骨子とする夏期一時金に関する要求事項を決議し、翌二五日これを会社に提示し、六月五日までに回答するよう申し入れ、同月二九日に要求趣旨説明の団体交渉を持つたが回答指定日の六月五日には何らの回答が得られなかつた。組合は五月三〇日右要求に関してストライキ権を確立し、これを背景として拡大闘争委員会ないし闘争委員会が会社と交渉することとなつた。本件争議当時被告人松尾は組合執行委員長、同水野は組合書記長であり、いずれも闘争委員であつた。

三、六月六日に至つて、第二回目の団体交渉が開かれたが、組合側の早期回答の要求は会社によつて拒否された。ついで、組合側の六月八日の団交要求は、伊藤謙爾労務担当重役が出張中という理由により、同月一二日の団交要求は目下組合要求を検討中という理由により、同月一三日の団交要求は伊藤重役の出張という理由により、同月一五日の団交要求は伊藤重役の病気という理由によりそれぞれ会社側の断るところとなつた。ついで六月一六日に至り、第三回目の団体交渉が開かれたが、会社側は二〇日までは回答しない、一時金以外の要求は拒否するとの態度を示した。この間会社側には、組合の要求を真摯に聞こうとの態度に疑問を懐かせるものがあつた。

六月一九日に第四回目の団体交渉が開かれ、会社側は回答案を示した。その要旨は、夏期一時金として組合員平均一四万一九一九円を支給する。査定については、最低を四、〇〇〇円、最高を一万六、〇〇〇円とし、三、〇〇〇円の差で五段階を設ける、その余の要求はすべて拒否する。そして右金額や査定幅については今後変更の意思がないというものであつた。組合側としては、右一時金は極めて低額であると考えたのであるが、殊に、組合の査定廃止の要求に対し、会社側が真向から対立する査定幅拡大(従前は四、〇〇〇円、三、〇〇〇円、二、〇〇〇円の三段階)という挙に出たため、これは民放他社に比しても極めて苛酷な条件であり、容易ならぬ事態であるとして不満を強くした。

組合は同月二〇日拡大闘争委員会を開いて、右会社側回答を拒否することを決め、会社側に団体交渉を要求したが、会社側は伊藤重役が多忙であることを理由に断つた。

四、本件ストライキの当日である六月二一日、組合側は団体交渉を開くことを要求したところ、会社側は伊藤重役が日帰りで出張しなくてはならないので開けない旨を午前一一時半ごろ組合側に伝えてきた(伊藤重役の行先までは伝えていないが、人事部長内藤亮二の証言によると、呉支局長社宅建設用地の件で、呉市に出張したということである。)。この通告に対し、組合側は同日昼休みに闘争委員会を開き、右団体交渉拒否に抗議し、第二次回答についての団体交渉を要求するためのストライキを、同日午後二時四〇分より二〇分間程度行うことを決め、あわせて会社側管理職によつてテレビの代替放送が強行されるのに備えて、本社二階テレビマスター室入口にピケをはること、その際暴力問題が起きぬよう、ピケは後ろ向きすなわち、会社側管理職に対し背を向ける形をとり、説得にあたる闘争委員らが前面にたつこと、あくまで会社側管理職が就労を強行せんとするときには、無理をしてこれを阻止するまでの手段はとらないこと等の手段が確認された。

五、一方、会社側においては、五月三〇日における前記ストライキ権確立の通告を受けるや、六月二日書面で組合に対し、会社側は争議行為中でもラジオ、テレビの放送業務を実施するので、業務の遂行につき妨害行為なき旨などを通告し、さらに、同日前記伊藤重役から管理職に対し、ストライキに入つた場合、管理職らが代替して業務遂行にあたるための臨時組織を発足させる旨の指示があり、以後会社側は右臨時組織により組合側のストライキに備えた。組合側のストライキに際し、会社が右趣旨の通告をなし臨時組織を編成することは、昭和三七年ころからとられている措置である。本件の場合、右臨時組織はテレビ班、ラジオ班など一二班を数えていた。テレビ班には、テレビ局技術管理部長岡村健二、同部副部長水野卓治、同局技術部副部長中本康郎、同局技術部長篠田紀彦、同局進行部長為末裕敏、同局製作部長武内泰治郎、同部副部長下川訓弘、同局第二運用課長寺田一郎ら二〇名が配置されていた。

右の事実は、証人内藤亮二(第二〇回)および被告人水野(第八回)の公判調書中の各供述部分、被告人水野の当公判廷における供述、押収してある「四二年夏期争議に伴う臨時組織」と題する書面一通(昭和四五年押第一〇四号の三)および「通告書」と題する昭和四二年六月二日付の書面一通(同年度押第一〇四号の四)によつて認める。

第二、本件ストライキ突入時の状況

一、後記の如く、組合側によつてその入口にピケラインがしかれたテレビマスター室(テレビ主調整室)は、会社本館二階にあつて、テレビマスター室に南接してテレシネ室、テレビマスター室に北接してVTR室がある。テレビマスター室とテレシネ室との間には幅0.85メートルの入口があつて、テレビマスター室に向つて開くドアがあり、テレビマスター室とVTR室との間にも幅0.85メートルの入口があつて、同じようにテレビマスター室に向つて開くドアがある。また、テレビマスター室の西側は廊下となつており、これとの間に幅1.72メートルの入口があり、テレビマスター室に向つて観音開きになるドアがある。右テレビマスター室は、マイクロウエーブで送られてくる映像、音声並びにテレシネ室、VTR室およびスタジオから送られてくる映像、音声を送信所に送る最終調整の機能を果たしていた。すなわち番組ないしスポットを切り替えるには同室のスイッチを操作することが必要であり、それをしない限り従前の映像、音声が継続することとなる。本件当時、同室においてテレビ放送を継続するためには、音声を担当するオーディオ、映像を担当するスイッチャー、これらに指示を与えるマスターディレクターの三名の人員を要した。

二、六月二一日午後二時三九分、被告人水野は電話で会社秘書室にストライキ突入を告げた、同四〇分、被告人松尾は、テレビマスター室前廊下でストライキ突入の合図の笛を鳴らした(当時組合は、スト突入の合図として笛を吹鳴していた。)。テレビマスター室の責任者である前記中本康郎その他管理職員は、ストライキ突入当時テレビマスター室にはいなかつた。組合側職員は、右突入時、二時四〇分から始まる「芸能ニュース」のタイトルテロップのボタン操作をしてその場を離れた。したがつて画像はそのままの状態で停止することとなつた。被告人松尾はテレビマスター室内に集つてきた組合員に前記三ケ所の入口に管理職らの進入路に対し後ろ向きになつてピケをはるよう闘争委員は管理職らの説得にあたるよう指示した。

三、そのころ、テレビマスター室のVTR室側入口においては六、七名、廊下側入口においては一四、五名、テレシネ室側入口においては一三、四名の組合員が体を寄せあつて、おおむねテレビマスター室方向を向き、すなわち外から入ろうとする者に背を向ける形でピケをはつた。VTR室側入口、テレシネ室側入口とも幅は0.85メートルしかないので、組合員は前面には三人位しか立てず、それが幾重にも重なつていた。二時四〇分ころ、組合員に代替し、前記臨時組織にもとづきテレビ放送業務に就こうとして、前記岡村部長はVTR室側入口よりテレビマスター室内に向けて開かれていたドアに沿つて横向きになつて入室しようとしたが、組合員らは「スト破りをやめろ」「団交を開け」と叫びながら、体を寄せ合い足をふんばりこれを押しとどめた。一方テレシネ室側入口においては、二時四二分ころ、同じように前記篠田部長その後中本副部長が到着し、共に入室せんとして中本において組合員をかき分けようと組合員の間に一、二度手を差し入れたが、組合員らは、同じように、「スト破りをやめろ」「団交を開け」と叫びながらこれに応ぜず、体を寄せあつて入室を拒んだ。

右の事実は、後記証拠の標目記載の証拠を総合して認める。

(罪となるべき事実)

一、同日午後二時四〇分すぎころ、前記の如く、岡村部長はテレビ放送業務に就くため、VTR室側入口より、ドアに沿い横向きになつてテレビマスター室に入ろうとしてピケラインによつて押しとどめられたが、組合員の「スト破りをやめろ」「団交を開け」の声に耳をかさず、あくまで入室しようとしてテレビマスター室側に向つて開かれたドアの先端に右手をかけ、横向きに同室に五〇センチメートルほど立ち入り、ついで同入口にやつてきた前記水野副部長および中本副部長も入室しようとしてその後方からピケラインの間に割り込むようにしていたところ、右状況を見た被告人松尾は「スト破りはやめなさい」といいながら、自己と岡村部長の間にいた組合員の両肩を両手で押し返すことにより、右岡村らをVTR室側に押し出し、

二、同二時四二分すぎころ、テレビマスター室のテレシネ室側入口より室内に入りテレビ放送業務に就こうとした人事部長内藤亮二(前記臨時組織により渉外情報班、記録班に所属していた。)および前記篠田部長が、同所において、「団交を開け」「スト破りをやめろ」と叫びながら、背を向け体を密着させてピケをはつていた一三、四名の組合員の背後より被告人水野の両腕をとつてピケ外に引き出し、続いて右内藤において同じく業務に就こうとした前記中本副部長および為末部長とともに、半身になり組合員をかき分け、庶務部長米沢勝次郎(臨時組織により写真班等に属した。)がこれを後押しして入室しようとした際、組合員らは、「団交を開け」「団交を開いたら通してもよい」と叫びながら、互いに体を密着させ足を踏んばつて同人らの入室を拒み、

三、更に、右両入口において、同日午後三時ころまで組合員は右同様のピケラインを張りつづけ、

よつて、その結果同日午後二時四〇分から約三〇分間会社のテレビ番組放送を中断させ、もつて威力を用いて会社のテレビ放送業務を妨害した。

なお、右摘示の所為は、被告人両名および現場にいた大林昇司ら組合員の共謀によるものである。

(証拠の標目)<略>

(弁護人らの主張に対する判断)

以下事実関係については、特に摘示する証拠のほか前掲証拠を総合して認める。

第一、本件は正当な争議行為であるとの主張について

被告人らの行為は、前記の如き経緯により、会社との争議を前提として組合の決議にもとづきなされたものであつて、これが労働法上の争議行為にあたることは明らかである。そこで被告人らの行為が労働組合法一条二項所定の争議行為として違法性を阻却するかどうかについて検討する。

一、本件ピケの目的

被告人らが当初本件ストライキにおいて意図したのは、前記のように夏期一時金等に関する組合員の労働条件の是正を図り、その経済的地位の向上を求めることであつて、本件ストライキは団体交渉における労使の実質的対等を確保するためのものである。本件ピケは、これに附随して、管理職らがストライキに際し放送業務を代替強行することによつて、組合の行う右ストライキが実効を失うに至るのを防止するため、管理職らの就労に対して抗議し、これが中止を説得することを目的としたものである。そのことは、(一)ピケの万針として当日の闘争委員会において説得の態様、方法などが確認されていること、(二)管理職らとの接触において、いずれの入口においても説得活動とみうる働きかけがなされていること、(三)放送継続の阻止をあくまで目的としたものであるなら、各ドアを閉めるとか、全員がスクラムを組んで押し返すとか、より効果的な手段を採りえたのに、組合員らの行為は前記の程度にとどまつていることなどによつて認められる。

二、本件ピケにおける諸般の事情

(一) 一般に、組合側がストライキに入つた場合は、会社側としては、特段の事情のない限り、合理的と認められる範囲内で組合側に対抗して自ら操業する自由を有するというべきである。したがつて会社側が管理職により自から操業する場合、組合側のこれに対してとりうる措置については、脱落組合員ないしいわゆるスト破りに対するそれとは自ら異つた見地より考えるべきもので、右については、その就労が合理的と認められる限り、これをしないよう説得する以上に実力を行使することは原則として許されないものとみるのが相当である。しかしながら、労働争議における組合側と会社側との関係は、相対的、流動的なものであるから、会社における管理職の占める比率、組合員の数、それらの増減の推移、その間の会社側の労務対策、管理職らの就労に至るまでの争議の経過、管理職らの本来の業務と代替業務との関連および業務代替の難易などの諸般の事情を考慮し、管理職らの代替就労により、業務阻害を本質とする(労働関係調整法七条)ストライキが全くその実効を失うものとなるときは、憲法上争議権が保証されている法意に鑑み(最高裁判所昭和四一年一〇月二六日大法廷判決、刑集二〇巻八号九〇五頁参照)、社会通念上相当と認められる限度において会社側に対し、少くとも説得の場を確保するために、暴力の行使に至らない限りある程度の実力を行使することもやむをえない措置として違法性を欠く場合があるというべきである。

(二) かような観点から、本件における諸般の事情について考える。

1 組合規約上、会社職員のうち副部長待遇以上は管理職とされており組合員資格を有しないのであるが、昭和三七年三月一五日以前は、右の副部長待遇職は、職制上明文化されておらず、そのころはこれに該当する職員はなかつたところ、右同日付で会社はこれを制度化し、二四名の職員(いずれも組合員)を副部長ないし同待遇に昇格させ、翌三八年二月にも一二名の職員(いずれも組合員)を同じく昇格させた。さらに、課長は規約上組合員資格を有するのであるが、昭和四〇年に会社が、課長が組合にとどまるのは好ましくないとの見解を表明し、更に会社側より脱退の工作がなされたこともあつて、同年六月には一〇名の課長が組合を脱退し、その後も脱退が続き本件当時は課長職の組合員は皆無であつた。また、会社は昭和三七年ころから、それまで会社従業員の業務であつた守衛、受付、電話交換、フイルム現像、テレビ照明、大道具等の部門を下請会社に委託し、女子アナウンス部門や女子一般事務職部門を一年ないし三年の期間を定めて雇用する嘱託職員にゆだねる労務対策をとるようになつた。本件当時嘱託職員のうちにも組合員は存在しなかつた。この間の組合員等の増減の推移はおおむね次の如くである。

職員数

(役員、非常勤嘱託を除く)

組合員数

昭和三七年三月

二八〇

(うち課長以上約三〇名)

二七〇

本件当時

三六〇

(うち課長以上約七〇名嘱託四五名他に

下請二〇ないし三〇名)

二一〇

右のうち副部長(待遇)職への昇格について会社側は、社歴の長い者の優遇、業務の高度複雑化による制度改革を理由としているところ、会社には高学歴者の割合が多くこれらに対する何らかの処遇の必要性があつたこと、および事業の拡大から当時制度改革をする理由も存したことも一応認められるが、(イ)右昇格者の半数以上が放送の送り出し部門に関係していること、(ロ)昭和三七年における右昇格直後の夏期争議において、当昇格管理職らが臨時組織に基き放送継続の代替業務についていること(それまでは、管理職のみによる放送の継続は極めて困難であつた。)、(ハ)右夏期争議時から、会社は、いわゆる一発回答方式をもつて組合の要求に対処していることなどの事実からすると右昇格の措置は会社の組合対策の一貫としての意味をも多分に有したものと考えられる。そして、下請会社への委託や嘱託制度の導入など右に述べたその余の労務対策についても右と同様の意図からなされたものとみる余地があり、結果的にこれらの措置がストライキの実効を著しく減殺する効果を持つていることは否定できない。現に人事部長である証人内藤亮二も右大量昇格後は組合がストライキをしても放送が継続できる体制ができ上り、スト中停波があつてもそれは不手際のためであつたと述べている。(第六回公判調書中の被告人松尾の供述部分、中国放送作成の職員名簿、押収してある職制と題する冊子二冊(昭和四五年押第一〇四号の九、一〇))

2、前記のように、昭和三七年より会社は組合の要求に対し、一発回答方式をとつてきたのであるが、会社側はその理由として、他社の回答が出そろつてから自信のある回答を出すことを狙つたものと説明している。ところでいうまでもなく労働条件は労使が対等の立場において決定すべきものであり(労働基準法二条一項)、その交渉を正当な理由なくして拒むことは不当労働行為にわたる(労働組合法七条二号)。右の一発回答方式も労使間の実質的な団体交渉を経てこそ真に意味のあるものとなるといわなければならない。さて、本件の場合、会社の回答が出されるまで三回の団体交渉が持たれはしたが、第一回目の五月二九日は、組合側の要求趣旨の説明に終始し、第二回目の六月六日、第三回目の六月一三日は、いづれも時間ないし議題が制限され組合側が早期回答を要求するだけという状態で、要求内容に関する実質的な討議はなされず、その間組合側は再三団体交渉を要求したにもかかわらず、前記のように、会社側の様々な理由づけによつてこれが開かれなかつた事実を認めることができるのであつて、果たして会社側が誠心誠意を以て事にあたつたかについては疑問の余地のあるところである(第七回、第八回公判調書中の被告人水野の各供述部分)。

3、ここで、本件管理職らの就労の性格について検討しておく、前記管理職への大量昇格は、組合対策としての性格を多分に有していたものであることは前述のとおりであるが、また一面においては経営管理上合理性をも有していたことも否定できないこと、また前記臨時組織においてテレビ班に所属していた管理職らは、その大半が現業技術部門に属していること、更に昭和三九年以降は管理職らの臨時組織によつてスト中も現実に放送が継続されたことがあつたこと(本件夏期争議中にも管理職らによつて代替放送されたことがあつた。)等からすれば、本件において管理職らが代替就労を試みたのをもつて組合の団結権、争議権の破壊を目的とした違法不当なものと見做すことはできず、未だ会社の正当な操業の自由の範囲内にあるものとみるべきである(テレビマスター室入室を試みた前記水野、中本、岡村、篠田、内藤らの管理職は、いずれも当時放送技術部門の管理者であつたか、もしくは以前放送の送り出し部門に関係していたものであり、前記のテレビマスター室の機能およびその操作内容からみて右の者らのうち三名程度が入室すれば容易に放送を継続できたものと認められる(篠田紀彦の検察官に対する供述調書)。)。

4 右1ないし3に認定した会社の労務対策、本件争議の経過および代替業務の内容等を考えあわせると、管理職らの就労によつて本件ストライキが全くその実効を失うことは明らかであり、前示のように会社側が組合側に対し、あらかじめ就労の意思を表明していたことを考慮にいれても、組合側が右管理職らに対し、翻意を求め説得の場を確保するために必要な限度において、ある程度の実力的行動をとることもやむをえない状況であつたと認めるのが相当である。

5 そこで、本件ピケにおける管理職と組合員の接触の具体的状況について若干敷衍する。

組合側が本件ピケを張るに当りスクラムを組んでいたかどうかについて考えるに、VTR室側入口につき、管理職である証人岡村健二、同中本康郎はスクラムムを組んでいたと思うと述べるのに対し、同じく管理職証人である水野卓治はスクラムを組んでいないと述べ、テレシネ室側入口につき、管理職証人水野卓治、同中本康郎はスクラムを組んでいたと述べ、同じく篠田紀彦は前の三人だけ腕をくんでいたと述べるのに対し、管理職証人内藤亮二はスクラムをしていた記憶はないと述べ、管理職証人で組合側の行動につき写真をとる役目をしていた前記米沢勝次郎さえもスクラムを組んでいないと述べるところを総合すると、当裁判所としては、右両入口において組合側がスクラムを組んでいたとの心証はとり難く、これはなかつたものといわざるを得ない。西側廊下入口についても管理職証人中本康郎の供述は曖昧であり、同じく篠田紀彦は体をよせあつていたに過ぎぬと述べるので、右同様のスクラムはなかつたといわざるを得ない。

組合員が会社側管理職に対し正対する形でピケを張つていたか、あるいは暴力行為に至るのを避けため背を向けていたかどうかについて考るえに、VTR室側入口につき、管理職証人中本康郎はほとんどの組合員が正対していたと述べるが、一方、同岡村健二は一部外向き、一部は内向きとなつていたと述べ、テレシネ室側入口につき管理職証人水野卓治は組合員が正対していたと述べるも、同じく管理職証人内藤亮二、同米沢勝次郎は組合員は自分らに背を向けていたと述べ各供述が必ずしも一致しないが、組合側証人たる岡田清はテレシネ室側入口において、同大林昇司はVTR室側入口において前記指示どおり管理職らに背を向けてピケに加わつたと述べるのでこれらを総合するに、説得の役目を負う闘争委員が会社側管理職と正対しただけで、ピケを張る組合員は背を向ける姿勢をほぼ維持したものとみることができる。

管理職と組合員の体が実際に接触した時間について考えるに、VTR室側入口に真先にかけつけた管理職証人岡村健二が、右入口附近に到着し、もう仕方がないとして秘書室に引揚げるまでの時間を四、五分と述べるところからして、実際に体が接触した時間は多くても三、四分と考えられ、テレシネ室側入口については、管理職証人中本康郎が押しあいの時間は二、三分であり、その後人事部長内藤亮二と被告人松尾が「そこを通せ」「団交を開け」と押し問答をするので、職制も組合員も動作をやめて問答を聞いていたと述べているところをみると、接触の時間は多くとも右程度であつたと考えられる。

なお、右の如く、VTR室側入口に管理職員がいたのは二時四五分ころまでであるが、テレシネ室側入口から管理職員が引揚げたのは内藤亮二ら管理職証人の言によつても遅くとも二時五五分であつたと認められる。組合側は三時五分に至つて「三時一〇分からストを解く」旨の通告を行い、同時刻本件ストライキは解除された。そしてその数分後から、正常にテレビ放送が行われることになつた。

6 証人内藤亮二の証言(第二〇回公判調書中の供述部分によると、会社は本件ストライキにより約三〇分間テレビ放送が中断されたため、その間広告料一〇万円に相当する番組およびスポットの放送が不可能となつた事実が認められる。もつとも、当公判廷における証人岡田清の証言によると、右の如くして放送ができなかつた番組やスポットは、その後売約されていない時間帯において代替放送されていることがうかがえるので、あるいは数字の上においては実損はさして存在しなかつたのではないかとも考えられる。

しかしながら、放送会社の全機能は放送という一点に集約されているものであり、また、放送は常時継続していることがその生命ともいうべきものであるから、たとえ放送内容が必ずしも文化的教育的なものといえず、あるいは広告料等の実損がさしたるものでないとしても、約三〇分間もテレビ放送が中断されるに至つたということは、会社の信用失墜という点からいつて被害が些細であるとはいい難い。

三、以上の諸点を考量すると、次の如くいうことができる。

罪となるべき事実に記載する犯行に先立つ行為、すなわち、VTR室側入口でテレビマスター室に入室しようとする管理職岡村健二らに対し、組合員が団交を開けといいながらその動きを一旦とどめた行為、テレシネ室側入口において、管理職中本康郎、篠田紀彦らがテレビマスター室に入室しようと試みたのに対し、組合側が団交を開けといいながら体を密着させてこれを一応阻止した行為は、管理職によつて行われんとした放送の継続に抗議し、これが中止を説得するための場を確保するための必要やむを得ない防衛的、消極的な行為と認められ、すくなくとも未だ正当な争議権の行使の範囲を逸脱したものとは認められない(なお、組合員が廊下側入口においてピケを張つた行為は、第五回公判期日における検察官の釈明によると、起訴状に事情として書かれたものであつて、公訴事実の内容そのものになつていないと解される。)。

しかしながら、罪となるべき事実として記載したその後に続く被告人らの所為は、正当な争議権の行使の範囲を逸脱したものといわざるを得ない。

すなわちVTR室側入口において、被告人松尾が管理職岡村健二、水野卓治らをVTR室に押し出した行為は、むしろ積極的に実力を用いて同人らの就労を妨害したものというべく、説得のために許される実力の行使の限度を越えているものと認められ、また、テレシネ室側入口において管理職内藤亮二、篠田紀彦が被告人水野をピケ外に引き出した時点においては、既に管理職らに対する説得が効を奏しないことが客観的に明らかになつたものとみるべきであるから、そののち管理職らの入室を阻んだ行為は説得に際して許される実力の行使の範囲を逸脱したものといわなければならず、したがつて爾後引続いてなされたピケも同様の評価を免がれず、それはもとより威力を用いて人の業務を妨害したとの威力業務妨害罪の構成要件に該当する。

さて、会社側が従来とつてきた労務対策には、労資が対等の立場で団体交渉をし、労働条件を定めて行くという憲法や労働法の精神を軽視する傾向が見られ、本件夏期争議の過程における団体交渉にも誠意の欠けるところがあり、本件ピケは、その要員もさほど多くはなく暴力にわたらないように背を向け、スクラムも組まず、管理職との間の体の接触は両入口において、二、三分ないし三、四分の程度であつたものであるから、いずれにしろ、被告人らの所為の実質的違法性は軽微であるということができる。しかし、本件当日伊藤労務担当重役が社用のため日帰り出張するという事実が虚偽であるとの証拠はないのであるから、会社側において団交開催を断つたについて一応理由があるということができ、被告人らにおいて、本件当日にこそ強硬手段に及ばなければ、組合の団結権その他労働基本権が全く危機におちいるという客観状勢にあつたともいい難く、殊にテレビ放送を約三〇分も中断させたという事実は、決して無視することができない。したがつて、実質的違法性が軽微であることは認めるが、これが全く阻却されるとはいえない。

以上の次第で、本件所為が正当な争議行為であるとの主張は採用できない。

第二本件起訴は公訴権の濫用であるとの主張について

弁護人らは、検察官の本件起訴は組合活動の弾圧のみを意図した違法不当なもので公訴権の濫用というべきものであるから本件公訴は棄却さるべきであると主張する。しかしながら、叙上のように被告人らの所為は正当な争議行為とはなし難く、違法性を有するものであるから、本件公訴の提起が検察官に与えられた裁量の範囲を逸脱したものであるとはいえず、右の主張も理由がない。

(法令の適用)

被告人らの判示所為は刑法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項(刑法六条、一〇条により、昭和四七年法律第六一号による改正前の同条項)にあたるところ、本件のよつてきたる経緯、その態様その他諸般の情状を考慮して、各被告人につき所定刑中罰金刑を選択したうえ、その所定金額の範囲内でいずれも罰金一万五、〇〇〇円に処し、刑法一八条により右罰金を完納しないときは金一、五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により主文第三項のとおり右被告人らのの連帯負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

(竹村寿 雑賀飛龍 広田聰)

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